2003年のイラク侵攻から約22年、最後の米軍部隊がイラクから撤退し、歴史的な軍事作戦は正式に終結した。駐留部隊2,500人は、過激派組織ISIS(イスラミックステート)掃討を目的として駐留していたが、その役割を終え去ることとなった。最盛期には約20万人に達した占領軍の残存部隊は、わずか1%強にまで縮小していた。
米軍のイラクにおける人的損失は、2003年以降で戦死者約4,500人、負傷者3万人以上に上る。一方、イラク側の犠牲は数十万人規模に及び、米国が費やした戦費は約1.7兆ドル(約260兆円)と試算されている。歴史家や軍事専門家の間では、この戦争はベトナム戦争やアフガニスタン紛争と並ぶ「選択の戦争(War of Choice)」として、戦略的失敗とみなされている。
22年に及ぶ戦争の代償—人的・経済的損失の全貌
戦闘地域からの全面的な兵力引き揚げは、2011年に一度実施された。しかし、ISISの台頭により2014年に米軍は再派遣を余儀なくされ、約12年にわたる第二局面が続いた。今回の撤退は、イラク政府との合意に基づくものであり、米軍のイラク駐留に終止符を打つ決定的なものだと考えられている。
イラク戦争の発端は、2003年3月の米英軍による武力攻撃にさかのぼる。当時のブッシュ政権は、フセイン政権が大量破壊兵器(WMD)を保有していると主張したが、戦後その物的証拠は発見されなかった。この「誤った情報に基づく開戦」は、国際社会の信頼を大きく損ねる結果となった。
戦闘そのものは比較的短期間で収束したが、その後は長く苦しい占領統治とイラク国内の宗派対立に翻弄されることになる。米軍は治安維持と国家再建に奔走したが、泥沼化する暴力の連鎖は止まらず、死者数は増加の一途をたどった。
イラク戦争とは何か—その原因と20年にわたる経緯
誤解されがちだが、イラク戦争は単なる国際紛争ではなく、中東地域の政治力学を根本から変えた地政学的な転換点だった。戦争の最大の帰結は、フセイン政権の崩壊とそれに伴うイラク社会の分断、そして宗派勢力の台頭である。このパワーバランスの崩壊が、後のISISの台頭を許す土壌を作ったという見方が強い。
イラク戦争で米国が得たものは、中東における民主主義の拡大でもなく、安全保障の強化でもなかった。むしろ、イランとの緊張関係を悪化させ、中東全体の不安定性を増幅させる結果を招いた。この点において、戦略的見通しの甘さを批判する声は今なお根強い。
評価定まらぬ「戦争の失敗」—専門家が分析する教訓
今回の撤退をもって、米軍はイラク戦争の全局面を終えたことになる。しかし、その代償の大きさと成果の乏しさから、米国の外交政策においても、軍事戦略の分野においても、イラク戦争は厳しい教訓として語り継がれるだろう。アフガニスタンからの撤退が混沌とした混乱を招いたように、イラクの今後についても予断を許さない。
イラクの未来は今、イラク自身の手に完全に委ねられた。隣国イランの影響力拡大、国内の脆弱な政治体制、そして経済復興の課題——これらすべてを、イラク政府は自らの力で乗り越えていかねばならない。米軍の「物理的な撤退」は完了したが、戦争が残した傷跡が癒えるには、なお長い時間が必要とされる。