MITテクノロジーレビューが毎年発表する「35 Innovators Under 35」の2026年版バイオテクノロジー部門が、このほど公開された。失明を回復する「再プログラミング」治療、日本の伝統芸術に着想を得た脳内電極、希少遺伝病を患う乳児に対する個別化遺伝子編集治療、そして創薬や環境汚染物質の吸収を目的とした生成AIによる新種ウイルスの設計——35歳未満の若き革新者たちが、生命科学の常識を覆すプロジェクトを次々と現実のものにしている。
本稿では、これらのブレイクスルーの核心を解説するとともに、同じく2026年の革新者リストで注目を集めた「鉄鋼革命」——Hertha Metals創業者Laureen Meroueh氏が挑む、安価でクリーンな製鉄プロセス——を併せて紹介する。一見異なる領域に見えるバイオテクノロジーと鉄鋼業に共通するのは、「既存のプロセスを根本から見直す」という若き革新者たちのアプローチである。
失明を「再プログラミング」する新治療と、日本美術から生まれた脳電極
視覚を失った網膜の神経細胞を、体内で再プログラムして機能を回復させる——そんな治療法が現在、臨床試験の初期段階にある。従来の視覚再生医療が幹細胞の移植や人工網膜に依存してきたのに対し、このアプローチは患者自身の細胞を直接「書き換える」点でまったく新しい。細胞の運命を決定づける転写因子を標的とし、損傷した視細胞を機能的ニューロンへと変換する技術は、加齢黄斑変性や網膜色素変性症といった難病に新たな光を投げかける。
また、日本の伝統的な金継ぎや折り紙にインスピレーションを得たという微小脳電極も、リストの中で大きな注目を集めた。柔軟な素材と立体的な構造設計により、脳組織への侵襲を最小限に抑えながら高精度な信号記録を可能にする。この技術は、パーキンソン病や重度のうつ病に対する次世代型ブレイン・マシン・インターフェースの中核デバイスとして期待されている。
生成AIが設計する「人工ウイルス」——創薬と環境浄化の新手段
2026年のリストで特に話題を呼んでいるのが、生成AIを用いて新種のウイルスを設計する試みである。ウイルスと聞けば脅威を連想するのが一般的だが、ここでの目的はまったく逆だ。人工的に設計されたウイルスは、特定のがん細胞のみを攻撃する薬剤として機能する可能性を秘める。さらに、環境中に放出された汚染物質——例えばマイクロプラスチックや産業廃液——を分解・吸収する「生体ナノマシン」として活用する構想も進んでいる。
この分野の若手研究者は、タンパク質構造予測AI(AlphaFoldの後継モデルなど)と大規模言語モデルを組み合わせ、ウイルスの外殻(カプシド)や遺伝子配列をゼロベースで設計する手法を確立した。安全性については厳格なバイオセーフティレベルでの実験が前提とされており、「悪用リスクよりも治療可能性のほうが圧倒的に大きい」と、関係者は強調する。
鉄鋼業に吹く変革の風——Hertha Metalsの新製鉄プロセス
バイオテクノロジー分野の躍進と並んで、本稿で特に取り上げたいのが鉄鋼業の革新である。1850年代に商業化された高炉法からほとんど変わっていない鉄鉱石の精錬プロセス。この「変わりにくい産業」に、まったく新しい設計で挑んでいるのが、Hertha Metalsの創業者であるLaureen Meroueh氏だ。
Meroueh氏が開発した新型炉は、鉄鉱石から溶鋼への転換を単一工程で実現する。従来のプロセスでは、鉄鉱石を還元するために大量の石炭(コークス)が必要であり、この段階で膨大な二酸化炭素が排出される。Hertha Metalsの炉は石炭を天然ガスに置き換え、副次的に排出されるCO₂を削減するだけでなく、一貫工程の短縮によってエネルギー消費そのものを劇的に抑える。
その結果、排出量は従来比で少なくとも50%削減され、しかもコストは25%低減されるという。クリーン技術に付きまとう「高コスト」というジレンマを、プロセス革新によって解消した点が、業界内外で高く評価されている。
「安価でクリーン」を両立する炉の設計思想
Meroueh氏のアプローチをさらに詳しく見てみよう。従来の高炉では、原料の投入、還元反応、スラグ分離、精錬といった工程が複数の装置で段階的に行われ、各段階で熱損失が発生する。Hertha Metalsの炉はこれらを単一の反応容器に統合し、熱エネルギーを最大限に活用する設計となっている。
燃料を石炭から天然ガスに切り替えたことによる環境メリットは大きい。石炭と比較して、天然ガスの燃焼で発生するCO₂排出量は約半分であり、さらに不純物である硫黄酸化物や煤塵の発生も格段に少ない。加えて、新炉では排熱の回収効率も高く、工場全体としてのカーボンフットプリントを大幅に改善できる。
鉄鋼業は世界のCO₂排出量の約7%を占めており、脱炭素社会の実現には避けて通れないセクターである。Hertha Metalsの技術は、日本国内の製鉄所——特に高炉を抱える大手メーカー——にとっても、コスト競争力を維持しながら排出削減目標を達成するための有力な選択肢となる可能性がある。
「35歳未満の革新者」に共通するマインドセット
2026年の「Innovators Under 35」は、AI、コンピューティング&ロボティクス、バイオテクノロジー、気候&エネルギーの4部門で構成されており、バイオテクノロジー部門と気候・エネルギー部門の両方から、今回紹介したような「構造改革型」のイノベーションが多数エントリーしている。
これらの若き革新者たちに共通するのは、「なぜこれが変わらないのか」という素朴な疑問と、既存の技術的制約を前提としない思考の柔軟さである。Meroueh氏が「製鉄のプロセスは19世紀から変わっていない」という事実を出発点にしたように、失明治療に取り組む研究者たちも「損傷した細胞は再生できない」という常識を疑うところから始めている。
MITテクノロジーレビューのバイオテクノロジーニュースレター「The Checkup」は、これらの革新について「彼らの仕事は、医療と産業の両方において『不可能』を『まだ実現していない』に書き換えるものだ」と評している。
若き革新者たちが描く2030年への展望
視覚再生治療は今後3〜5年の間に第2相臨床試験へ進む見通しであり、脳内電極の技術は2028年までにヒトでの長期埋め込み試験が計画されている。Hertha Metalsの新型炉については、実証プラントの建設が進行中であり、2030年までに商用規模での稼働を目指す。
生成AIによるウイルス設計の分野では、すでに複数の創薬スタートアップが治験準備段階に入っている。もしこれらの技術が実用化されれば、難病治療のコスト構造そのものが変わり、個別化医療の普及が加速することになる。
産業の常識を疑い、テクノロジーの限界を押し広げる——2026年の「Innovators Under 35」が示すのは、科学技術の最前線で起きている静かだが確実な地殻変動である。日本の研究機関やスタートアップエコシステムにとっても、これらの動向は決して対岸の火事ではない。若き革新者たちの挑戦は、産業構造そのものを再定義する可能性を秘めている。