英国の上院にあたる貴族院(House of Lords)は9月9日、金融サービス市場法案(Financial Services and Markets Bill)の報告段階(Report Stage)で、財務省にデジタル資産戦略の策定を義務付ける修正案を、賛成194、反対138の賛成多数で可決しました。この修正案により、仮想通貨やステーブルコイン、トークン化証券に加え、デジタル金融インフラ全体を対象とする国家戦略を、国王裁可から12カ月以内に公表することが政府の法的義務となる見通しです。
修正案を提出したのは保守党で、採決では与党・労働党の127人が反対しましたが、194人の賛成を確保しました。法案は今後も審議が続けられ、最終的に国王の裁可を受けて成立すれば、英国のデジタル資産政策は行政の裁量から「法律で義務づけられた取り組み」へと質的に転換することになります。
対象は仮想通貨だけではない
今回の修正案が求めるのは、ビットコインなど従来型の仮想通貨だけの振興策ではありません。財務省に策定が義務づけられる戦略の対象は、以下の4領域に及びます。
- 仮想通貨
- ステーブルコイン
- トークン化証券
- デジタル金融インフラ全体
これは、資産の種類ごとに規制を積み上げる従来型のアプローチではなく、分散型台帳技術を前提とした金融の将来像を、政府として一体的に示す必要があるという考え方に基づいています。
「デジタル資産戦略」とは何か
デジタル資産戦略とは、仮想通貨やステーブルコイン、トークン化証券などのデジタル資産分野について、政府が策定する包括的な政策方針です。今回の修正案では、財務省に対し、法案成立から12カ月以内に策定・公表することが義務づけられています。
英国政府は2022年、当時のリシ・スナク財務相が「世界の暗号資産ハブになる」という目標を表明し、国際的な注目を集めました。しかし、こうした方針はあくまで政治的なコミットメントであり、法的な裏付けを持つものではありませんでした。政権交代や閣僚の交代によって、政策の優先度が下がるリスクを常にはらんでいたのが実情です。
今回の修正案は、デジタル資産政策の継続性を法律で担保し、「掛け声倒れ」を防ごうとする試みだと言えます。
194対138で可決、与野党で温度差
採決では、保守党が提出した修正案88に対し、194人の賛成が集まり、138人の反対を上回りました。反対の中心となったのは与党・労働党で、127人が反対票を投じています。
労働党側には、戦略を法律で義務づけると規制の柔軟性が失われるという懸念があったとみられます。財務省への事務負担を避け、既存の規制整備を優先すべきだという実務的な判断も働いた可能性があります。
一方、保守党は、国際的な金融センター競争に勝ち残るには、政府が明確なビジョンと責任体制を法律で示すべきだと主張。デジタル資産政策の進め方をめぐって、与野党の隔たりが浮き彫りになりました。
なぜ「法的義務化」が重要なのか
英国はEU離脱後、金融規制の独自路線を模索し、2022年末に発表した「エディンバラ改革」でステーブルコインやトークン化を含む制度改革を打ち出してきました。しかし、こうした改革は行政主導で進められてきたため、その持続性は常に政権の意向に左右されてきました。
法的に義務づけられた戦略は、企業にとって規制の予見可能性を大きく高めます。ライセンス取得や事業計画の策定、海外投資家の意思決定に明確な指針を与えることになるでしょう。とりわけ、欧州連合(EU)の暗号資産市場規制(MiCA)が本格運用に入る中、英国が国家戦略を法律として示せるかどうかは、国際的な資金の流れにも影響を与えかねないテーマです。
日本企業への示唆
日本では、資金決済法に基づく暗号資産交換業の登録制や、金融商品取引法による電子記録移転権利の枠組みなど、個別の制度が先行しています。一方で、デジタル資産全体を俯瞰する国家戦略の策定を法律で義務づける動きは、世界的に見てもまだ珍しいのが実情です。
米国では証券取引委員会(SEC)と商品先物取引委員会(CFTC)の管轄をめぐる議論が続き、シンガポールや香港もデジタル資産のハブ化を目指して規制整備を急いでいます。英国で戦略が法制化されれば、その内容は日本の規制当局や仮想通貨関連企業にとって、今後の制度設計や海外展開を考える上での重要な参考材料となるはずです。
今後の注目は「国王裁可から12カ月以内」
今回の修正案は上院の報告段階で可決されましたが、法案はまだ成立していません。今後、下院での審議や国王の裁可を経て、正式に法律となります。
最大の注目点は、戦略の公表期限が「国王裁可から12カ月以内」に設定されたことです。明確な期限を法律に書き込むことで、政府による先送りを防ぐ設計となっています。金融サービス市場法案の今後の行方とともに、英国が打ち出すデジタル資産戦略の全容が世界の仮想通貨市場にどのような影響を与えるか、引き続き注視が必要です。