為替市場で「円安は止まらない」「介入は効かない」という見方が支配的になるほど、その反対の動きが起きる──。これは2010~2011年の円高局面を経験した市場参加者にとっては、まさに「デジャブ」である。当時、誰もが円高継続を確信し、マスコミも識者も口を揃えて「円高は構造的」「介入しても流れは変わらない」と主張していた。しかし、その確信は見事に裏切られ、歴史的な円安局面へと転換した。今、私たちはあの時と全く同じ構図のなかにいるのではないか。本稿では、過去の誤認から学び、現在の円安が歴史的な行き過ぎである可能性と、為替介入の真の効果について考察する。
「介入懐疑論」が流行るほど転換点は近い
現在、メディアでは「介入しても円安トレンドは変わらない」という懐疑論が大きく取り上げられている。この論調は、2011年10月末の大規模な円売り介入直後にも同じように存在した。当時は米ドル買い・円売りの介入だったが、市場参加者の「介入は無効」という思い込みと、その後の実際の相場の動きを比較すると、強い既視感を覚える。
結論を先に言えば、世の中の大半は歴史的な転換点において間違った方向に賭ける傾向がある。今の「介入は効かない、円安は継続する」という主流派の見方は、まさにその宿命を背負っていると考えるべきだろう。
2010~2011年、「円高永遠論」の誤り
2010年末の日本は、「悪い円高」や「円高不況」の深刻さが日夜議論されていた。政府・日銀の対応不足を糾弾する世論は強く、「デフレ脱却は不可能」という悲観論が横行した。書店では『百年デフレ』や『投資なんか、おやめなさい』といったタイトルがベストセラーになる一方、筆者が執筆した『相場の宿命』はまったく売れなかった。その本には「2012年から日本株は上昇する」と書かれていたからだ。
もちろん、当時は2011年の東日本大震災や、2012年の安倍晋三氏の首相再登板を予見することは不可能だった。しかし、筆者は「2012年春まで円高が進み、その後は円安に転換する」という展望を持ち、日本株の上昇を予想していた。アベノミクスが打ち出されると、マスコミや識者はこぞって批判したが、結果的にデフレ脱却に成功しインフレ局面に入ると、今度は「物価高で庶民が苦しい」と一転して騒ぎ立てた。日本政府と日銀は、何をやっても非難の対象になるのである。
物価安や円高はデフレの結果であり、物価高や円安は脱デフレの代償である。この構造を理解していれば、マスコミや識者の情緒的な論調に振り回されることはない。
「確信」が強まるほど相場は裏切る
為替相場の転換点では、大衆や識者の見方が一方向に収斂し、反対の見方がまったく顧みられなくなる。これこそ「相場の宿命」のひとつの側面だ。円高にせよ円安にせよ、行き過ぎが極限に達するほど、「方向転換はあり得ない」と信じる者が増える。
2010年当時、「自分が生きているうちに日経平均株価が史上最高値を更新することはない」と豪語した証券界の大物もいた。2020年の時点でも、多くの人は数年後に日経平均が史上最高値を更新するとは想像すらしていなかった。それが現実になったように、円安の大幅な進行も、識者らが主張するほど「構造的」でも「必然的」でもないはずだ。
重要なのは、皆さんの「確信」が強ければ強いほど、実は行き過ぎた円高(あるいは円安)の限界点に近づいているという点だ。
なぜ今の介入は「効く」のか
日米金利差や実質インフレ、国の財政状況などを根拠に円安の継続を論じること自体は間違いではない。しかし、その理屈は行き過ぎた相場を正当化する理由にはならない。2011年の円高継続論が誤っていたのも、まさにこの点にあった。「円高構造論」自体は正しかったとしても、行き過ぎた水準を正当化することは完全な誤りだったのだ。
筆者は「介入によって円安トレンドが修正される」とは考えていない。まったく逆である。円安が歴史的な行き過ぎの状態にあるからこそ、介入が有効に機能するのだ。相場が極限に達したタイミングでの介入は、市場の行き過ぎを認識させる「合図」として作用する。すでに調整局面に入っていた相場に、介入が拍車をかけるのである。
歴史が示す「臨界点」
市場では「円安は構造的」「介入があっても流れを変えられない」という確信が広がっている。この空気感は、2011年10月末の円高局面と完全に一致する。あの時も、介入直後は円高が継続すると誰もが信じて疑わなかった。しかし、その後に起きたのは、歴史的な円安トレンドへの大転換だった。
今こそ、行き過ぎた円安が修正される「臨界点」に差し掛かっていると考えるのが妥当だろう。相場の転換点においては、主流派の「確信」が最も強くなる。そして、その確信はほぼ必ず裏切られる。この逆説を理解しているかどうかが、投資家としていちばん重要な資産なのかもしれない。