米連邦準備制度理事会(FRB)のスタッフが発表した論文が、ステーブルコインをめぐる新たな脆弱性を指摘している。完全に裏付けられた安全なデジタルマネーであっても、その送金に利用するパブリックブロックチェーンの手数料市場とネットワーク効果によって、とりわけ少額送金において手数料が送金額を上回る可能性があるという内容だ。この研究は、米国の決済用ステーブルコインを規律する「GENIUS法」が準備資産の質と償還の確実性を高める一方で、実際のトークンが流通するチェーン自体に残る構造的な隙間に光を当てている。
「完全に安全なデジタルマネー」に潜む脆弱性
2026年6月2日付で8月31日に更新されたこの論文は、まず極めてユニークなモデル設定から始まる。ステーブルコインは完全かつ安全に裏付けられていると仮定し、資産側の問題をあらかじめ取り除いた上で、取引手数料と決済ネットワーク効果の相互作用だけを脆弱性の源泉として分析している。混雑が低い状態ではネットワークはショックを吸収するが、混雑が高くネットワーク効果が弱い状態では、償還が協調的かつ急激になる閾値が現れるという。この閾値を超えると、手数料上昇が利用を減らし、利用の減少がトークンの魅力を下げ、弱まったネットワークがさらに退出理由を増やすという負の循環が発生する。
この循環は、ステーブルコインの設計思想そのものに内在するリスクを示唆している。つまり、発行体の財務健全性とは独立して、ユーザー同士の行動とチェーンの物理的制約が連鎖的な流出を引き起こし得るということだ。
「償還」の実態:イーサリアム上の流通量減少が示すもの
論文の実証部分では、この「償還」がイーサリアム上の流通量の減少として計測されている。この減少は、法定通貨への換金である場合もあれば、別チェーンへの移動である場合もある。したがって、データが捉えているのはあくまでイーサリアム基盤の流通量にかかる圧力であり、発行体で実際に換金した顧客数の純粋な集計ではない。この点は、論文の解釈において極めて重要である。
少額送金で手数料比率が100%超えるケース
分布に関する結果は、具体的な数字でその深刻さを示している。2021年から2025年にかけて、USDCについて中央値未満の送金では、手数料が送金額に占める比率の75パーセンタイルが100%を超える場面が頻繁に観測された。一方、中央値超の送金では、その比率が5%を上回ることはほとんどなかった。
これは、利用者が日常的に送金金額を上回る手数料を支払っていたという意味ではなく、混雑時には代表的なネットワーク手数料が多くの少額送金の価値を超えうるという分布の記述である。実際には、ユーザーは送金を見送ったり、待ったり、複数の送金をまとめたり、カストディアン経由に切り替えたりすることで回避できる。しかし、その裏返しとして、混雑は送金額の小さい順にチェーンへのアクセスを制限するという構造的な問題が浮かび上がる。
混雑時の因果関係:ガス代上昇が償還を押し上げる
分析では、週次パネルデータを用いてネットワーク効果の強弱による影響の違いも検証されている。ネットワーク効果が弱い状態において、ガス代の1標準偏差(約10.83ドル)の上昇が週次の償還を約0.9ポイント押し上げる関係が示された。ただし、ガス代単独では統計的に有意ではなく、この状態は観測全体の約7〜7.5%にとどまる。また、イーサリアムの空スロットを用いた設計では、平均0.7%という発生率のもとで、混雑が手数料を押し上げる因果関係を捉えているが、その後の償還反応まで直接示すものではない。
これらの証拠は、脆弱性が常に発現するわけではなく、むしろ特定の条件下でのみ顕在化するものであることを示している。しかし、その条件が現実に発生しうる範囲内にあるという点が重要だ。
GENIUS法と日本の資金決済法が共有する死角
制度面では、GENIUS法が1対1の準備、償還手続きの公表、手数料開示、月次報告、検査などを発行体に求めている。一方、財務省が8月17日に公表し翌18日に連邦官報に掲載した施行提案は、第3条の販売制限に焦点を当てている。意見募集は10月19日までで、発行体ライセンス枠組みの想定施行日は2027年1月18日、より広いデジタル資産サービス提供者への制限は2028年7月18日が見込まれている。発行体の購入・償還手数料の開示は、チェーンのガス代や取引所の出金手数料とは別物であり、両者は厳密に区別されるべきだ。
ここで注目すべきは、日本の資金決済法に基づく枠組みも発行体と裏付け資産の規律が中心であり、同じ死角を共有しているという点だ。準備資産の健全性を「安全」の定義のすべてとして扱えば、次の混雑局面で「トークンは健全だが、そこへ至る経路が使えない」という事態が起こりうる。この論文が浮き彫りにしたのは、ステーブルコインの安全を保証するには、発行体のバランスシートだけでなく、そのトークンが実際に移動する決済ネットワークの設計も含めた総合的な視点が必要だということに他ならない。