日本のある小学校で、入学時には黒板の文字を楽に読めていた児童が、わずか2年後の3年生になった春には、目を細めて見なければならなくなった。眼科検診の結果、その子の近視は約3倍に進行していた。私たちはこの出来事を、子ども時代につきものの一コマとして片付けがちだ。眼科を訪れ、初めての眼鏡をかけ、そして日常が続いていく。だが、それは決して「普通」のことではない。近視はれっきとした病気であり、そしてその多くは予防可能なのだ。
長年にわたり眼科医として臨床と研究に携わってきた立場から言えば、この問題の深刻さは見過ごされてきた。著書や新聞記事、査読付き研究を通じて、近視の進行が単なる視力低下ではなく、将来の緑内障や網膜剥離といった重大な眼疾患のリスクを高める要因であることを訴え続けてきた。その間も、子どもの近視は静かに、しかし確実に増加し続けていた。世界的に見ても、東アジア地域の近視有病率は突出して高く、日本もその例外ではない。
ところが、この夏、ついに歴史的な転機が訪れた。政府は2026年度の経済財政運営の基本方針、いわゆる「骨太の方針」に、子どもの近視予防に関する文言を初めて盛り込んだのだ。これは、長年の政策提言が実を結んだ画期的な一歩であると言える。
「骨太の方針」に明記された具体的内容
政府が閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2026」(骨太方針2026)では、「子どもの健やかな成長」を掲げる項目の中で、近視予防に関する取り組みを明示している。具体的には、学校保健法に基づく健康診断の充実や適切な屋外活動の推進、そしてデジタル機器の長時間使用に対する注意喚起などが含まれている。これまで国の基本方針レベルで近視予防が言及されたことは一度もなく、この一文が持つ重みは極めて大きい。
近視の進行には、遺伝的要因に加え、環境要因が強く関与することが分かっている。特に、近業(本を読む、スマートフォンやタブレットを使用するなど、近くのものを見続ける作業)の増加と、屋外で過ごす時間の減少が、子どもの近視進行を加速させる主要なリスク因子であるというのが、現在の医学的コンセンサスだ。国際的には、1日あたり2時間以上の屋外活動が近視発症の予防に有効であるとするエビデンスが複数報告されている。
なぜ今、国として動き出したのか
政府がこの方針を打ち出した背景には、子どもの視力低下が社会経済に及ぼす影響への危機感がある。文部科学省の学校保健統計調査によれば、裸眼視力1.0未満の小学生の割合は年々増加傾向にあり、特に近年はその進行速度が加速している。このまま放置すれば、将来的に近視が原因で生活の質が低下する人口が増大し、医療費の増加や労働生産性の低下を招くことは明白だ。
さらに、コロナ禍によるデジタル端末の利用時間の急増と外出制限が、子どもの近視進行に拍車をかけたとの報告もある。本格的なICT教育が進む中で、子どもたちの目の健康を守るための明確なガイドラインが求められていた。今回の基本方針への明記は、そうした社会的要請に応える形で実現したものと捉えられる。
専門家の視点:評価すべき点と残された課題
今回の政府方針を、長年この問題に取り組んできた立場から評価すれば、「スタートラインに立った」という表現が最も適切だ。近視予防が国家の政策課題として認識されたこと自体は、誠に喜ばしい進展である。しかし、これはあくまで基本方針に一文が加わったに過ぎない。具体的な予算措置や、学校現場での実行可能なプログラム、そして国民全体への効果的な啓発活動が伴わなければ、絵に描いた餅になる危険性をはらんでいる。
特に重要なのは、「予防」と「進行抑制」を明確に区別した施策の構築である。すでに近視が発症してしまった子どもに対しては、低濃度アトロピン点眼薬やオルソケラトロジー(角膜矯正コンタクトレンズ)、特殊設計の眼鏡レンズといった、医学的にエビデンスのある進行抑制手段へのアクセスを確保する必要がある。今回の方針が、単なる注意喚起に終わらず、具体的な対策の実行へとつながるかどうかが、今後の焦点となる。
読者への実践的アドバイス:家庭でできること
政府の方針が具体化するまでの間、家庭でできる予防策は決して難しいものではない。まず、意識して屋外で遊ぶ時間を確保すること。公園で遊ぶ、散歩をするなど、太陽光の下で過ごす時間を1日1〜2時間程度作ることが、近視発症のリスクを低下させる最も確かな方法の一つである。次に、デジタル機器の使用ルールを家族で話し合い、20分に1回は遠くを見る「20-20-20ルール」を実践すること。そして最も重要なのは、定期的な眼科検診を受ける習慣をつけることだ。学校の視力検査だけで安心せず、年に1度は眼科専門医の診察を受けることを強く推奨する。
近視は、適切な対策を取ることでその発症を遅らせ、進行を抑えられる疾患である。今回の政府方針は、その認識を社会全体で共有するための重要な契機となるはずだ。長年の主張が国家的な政策にまで昇華した今こそ、私たち一人ひとりが「子どもの目の健康」について真剣に向き合う時が訪れている。