アメリカの女性解放運動を象徴する存在であり、作家であり活動家として60年以上にわたりジェンダー平等を訴え続けてきたグロリア・スタイネム(Gloria Steinem)が、現地時間2025年5月7日、ニューヨークの自宅で死去した。92歳だった。
彼女の死は、設立した財団の公式Instagramアカウントを通じて発表された。死因については明らかにされていないが、財団は「スタイネムはニューヨーク市の自宅で、多くの愛する人々に囲まれて安らかに息を引き取りました」とコメントしている。
フェミニズムの「顔」として──1960年代から続いた闘い
スタイネムは、鋭いウィットとクールな美貌、トレードマークのアビエイターサングラスで一躍時代のアイコンとなる。1960年代末からフェミニズム運動の先頭に立ち、メディアの注目を一身に集めた。特に1971年には、ニューヨーク州の政治家ベラ・アブズーグやフェミニスト作家のベティ・フリーダンらと共に「全米女性政治幹部会(National Women’s Political Caucus)」を共同設立。中絶の権利、賃金格差の是正、そしてEqual Rights Amendment(ERA)の批准を求める活動に力を注いだ。
この幹部会は現在も活動を継続しており、連邦・州レベルの選挙および任命ポストにおいて、男女平等を支持する女性の数を増やすことを目的としている。スタイネムの遺志は、制度としての政治参加の場に確実に受け継がれている。
「女性の権利は人権である」──多様性への扉を開く
スタイネムの功績は、中流階級の白人女性だけを対象としたフェミニズムではなかった点にある。彼女は早くから、女性運動の中にマイノリティ女性の声を含める重要性を強調。貧困層や有色人種の女性が抱える複合的な差別(インターセクショナリティ)に目を向けさせた。この視点は、現代のフェミニズム思想の基盤の一つとなっている。
スタイネムは自らを「誇り高きトラブルメーカー」と称し、時にメディアから激しい反感を買いながらも、決してその立場を崩さなかった。その言葉や著作は、全米のみならず世界中の女性たちに影響を与え続けている。
日本のフェミニズムにも与えた影響
スタイネムの存在は、日本の女性運動にも少なからぬ影響を及ぼした。1970年代から80年代にかけて、日本のフェミニストたちが彼女の著作を翻訳し、論壇に紹介。男女雇用機会均等法の制定(1985年)や、近年のMeToo運動の高まりにおいても、その思想が参照されることが多かった。日本の読者にとって、スタイネムは「フェミニズムの象徴」として、現代でもなお一つのスタンダードであり続けている。
その生涯と遺産──時代を超えた希望の灯り
グロリア・スタイネムは、作家として、またジャーナリストとしても旺盛に活動。数々のエッセイや著書を通じて、女性の自己決定権と経済的自立の重要性を訴え続けた。晩年においても、若い世代のアクティビストたちとの対話を欠かさず、SNSを通じて政治参加を呼びかける姿勢を貫いた。
彼女の死は、アメリカ社会における女性解放運動の一つの時代の終わりを告げるものかもしれない。しかし、その遺した言葉と行動は、これからも多くの人々の生き方の指針として息づいていく。スタイネムが生涯をかけて示した「変える力」への信頼は、国籍や世代を超えて、新たなバトンとして渡され続けるだろう。